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亀戸のすずき事務所/成川 めぐみ

 二十代の前半、亀戸のすずき事務所で仕事のお手伝いをさせていただきました。とても小さな事務所でした。職員は、所長と田辺さん樋口さん、小林さんと私の五人。それから司法書士の野村先生が、しばらく同居していました。
 そんな狭い中でしたが、所長は模様替えが好きで、月曜日に出勤すると週末とは違ったりしました。日曜に一人で動かしたのです。職員には不評でした。さして変わりばえしないのに、何となく不便になったというのがその理由です。
 野村さんは、電話を待ちながら背中を向けて、一本指で和文タイプを打っていました。江戸川区を歩いた時に「野村さんはどうしているの?」と聞かれ、隠れたファンがいることがわかりました。
 樋口さんは、知識をたくさん持っていました。亀戸の職安は、故障でよく冷房が切れていましたが、フロンガスが使われているのだと教えてくれたのは樋口さんです。職員さんが汗をふきながら書類のアラを探していたのを思い出します。
 田辺さんは、飲みに誘うのがとても上手です。「あと三十分で帰るから。」で、飲めなかった私は飲めるようになりました。座を盛り上げるのが小林さんで、明るく楽しく過ごすコツを知っていました。所長は三次会まで行かないと気が済まないらしく、さっさとお金を払って「次、行くぞ。」と出て行ってしまうのに、田辺さんと私は残り物に未練があって、「タッパーを持ってくれば良かった。」といつも嘆くのでした。
 退職する時に、駅前通りに座る占い師さんに手相占いをしてもらいました。私のは覚えていませんが、横から手を出した野村さんに「あなたは全く女に縁がない。」所長には「女性に囲まれている。」所長がニコニコ顔で帰ったことは、言うまでもありません。
 事務所には、風呂場を改造した、下水の臭いのする部屋がありました。そこに電話を持ち込んで熱心に「社労士」の説明をする田辺さんたちや、直接足を運んでいく所長の、若い姿が今でも頭の中に残っています。そしてその仕事は、成果となって台帳に残されています。
 現在子どもに手を焼く一主婦が、十年前に過ごしたすずき事務所の思い出話でした。
 (すずき事務所は私の青春そのものでしたといった彼女は、当時勉学に励む勤労学生でした。)

1992年 さかみち 創刊号より
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