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小説三浦綾子著「母」を読んで/青野 みち子

 母が語った作家小林多喜二の物語である。一つの思想を持ってつらぬき通した多喜二の姿が母の目をとおして語られている。自分の子供ゆえどうしても母から側面からしか見えない部分もある。しかしそれであっても母のかいなにだかれた多喜二の姿は、こんなに心温い優しい人間がこの世に存在したのかと驚かされる。
  とくに親に兄弟に友人にそして心寄せる恋人タミさんにどうしてこんなに真に思いやりをもてるのか不思議に思う。それはもう多喜二の人間性そのものとしか言いようがない。それはどこから生まれてきたのであろうか。多喜二の母は貧乏の中、人を信じ平凡にこつこつと正直に家族と共に生きてきた。この母から受け継がれた資質なのであろうか。
 とくに心よせるタミさんに対する男性として、いや一人の人間としてとった態度には驚かされる。二人の出会は小料理屋の山木屋であった。タミさんの家は貧乏に貧乏がかさなりもう自分の娘を売るしか生きていけないそんな家であった。タミさんはこの山木屋に売られた身であったがなんとか人間らしく生きたいと、人間として、向上していきたいと思っている女性であった。そして、身を売られた所に生きる女性には、につかわしくないかれんそのものであった。多喜二はタミさんをありったけの借金で身受けをするのであるがしかし多喜二はすぐに結婚をせず、自分とタミさんが人間として対等になるまでまつのである。
 「おれは、タミさんを苦界から救い出したいだけなんだ。ここですぐおれの嫁さんになってくれといえばおれの金で救い出されたタミさんは断るにも断れん」「男と女は互いに自由でなければならないのだ、自由な身でつき合ってそれで結婚する気になったら結婚すればいい。今のタミさんに結婚を申し込むのは金で女を買うのと同じことで、おれはそうはしたくない。」一人の女性にとった多喜二の態度はその後の生きざまそのものであった。
 家族へ、友人へ、社会へ、そして多喜二の死をもって守った一つの思想へと及んでいったのである。
 この本は殺された多喜二の体に母のあたたかい息吹がかけられ、人間多喜二が再びよみがえったかとの錯覚を覚える本であった。
 それにしても、感動を伝える本であっても又万人の目にたえられ賞賛される絵画であっても直接本人自身が読み、目で鑑賞するにまさるものはないかと思う。

1992年 さかみち 創刊号より
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