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事務所創業のころ/田辺 初枝

 1997年(昭和52年)3月1日、22才の私は、知人の勧めで鈴木事務所の創業に加わることになった。社会保険労務士という言葉そのものが聞きなれなく、社会経験もなかった私には仕事の中身がほとんど理解できないままの入所であった。その頃は所長が前職に勤務中で顧問先も五件位しかなく、私の毎日の仕事といえば、事務所の開業祝いに訪れるお客さんの接待と書類の整理くらいであった。

 数ヵ月もした頃、司法試験に勉強中の青年とその友人が、どういうわけかアルバイトにくるようになった。さらに、社労士の試験は合格したものの関与先のまったくない青年もくるようになった。この三人と所長の四人で、江戸川、江東、墨田、葛飾、足立とまだ交通の不便であった地域を、ポンコツ車に乗って連日委託事業所の開拓に歩き出した。この集団の成果はとても大きく、多いときは一日に三件も新規委託があった。委託の古い事業所の多くは、その時の努力で得られたお客さんである。
  今のように社会保険労務士という名前そのものの知名度もあまり知られてない時代であったから、受託業務の範囲も狭く、労働保険事務組合の事務委託を主体としての顧問先の獲得であった。当時は社会保険の事務委託はほとんど皆無であった。ごくまれに引き受けても社会保険事務所の対応がかなり厳しかった。

 私といえば毎日毎日、亀戸の職安と監督署回りの日々であった。時々求人票の提出なども依頼されて提出にいったが、仕事の中身の説明がよくできなくて、職安の職員に怒鳴られたことを今でも鮮明に覚えている。当時は製造業が多かったので、機械の事など聞かれることもあって、何を今度は言われるかといつもハラハラ、ドキドキの連続だった。

 いずれにしても、新規に事をおこすということはとてもエネルギーの必要なことである。一人二人より三人四人と集まって行動したことが当事務所が無事に軌道にのれた大きな要因と思える。新規委託も150件位いくと、ほとんど先きの地域を回りつくしたので、新規委託事業所開拓グループは解散となった、当初、所長と行動を共にしたグループのメンバーは、事務所での経験をバネにして、社労士、司法書士の開業など、各々の分野に進んで回った。

 こんな感じでスタートした事務所は、職員も亀戸時代の最後は六人ほどになった。業務量も除々に多くなりさまざまなエピソードも生まれた。所長もよく役所回りをしていたので、ふに落ちないことがあると職安の所長室や監督署の署長室へ出かけていって直談判をし、頭をカッカさせて帰ってきた。
  又、関与先事業所の賃金不払事件の為、捜査令状を持った監督署の監督官が日曜日の早朝に、それも風邪でうなっているときに所長の自宅へ乗りこんできて、びっくりさせられたのもこの頃の懐しい思い出である。私自身もさまざまな失敗と経験を胸に秘めて15年、いつまでも納得のいく仕事ができずに悶々としているが、今日よりは明日へといつも希望を持って、前向きに謙虚に寛容に頑張っていこうと思っている。

1992年 さかみち 創刊号より
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