ネット・さかみち

落ち葉の季節に/鈴木 光江

 今年もまた、山々が色とりどりに染まり、街路樹が色づく季節がやってきた。
 育った横須賀は海があり、山が人家と一体をなしてきた所。その風景を当然と思って暮らしてきた身には、東京の広い、とりわけ私の住む足立区は、街路樹と公園の木々が目に入るばかり。居所を間違えたような木々はあわれに思えてならなかった。けれど、 住めば都、とはよく言ったもの。いちょうの黄色もすばらしいし、紅葉の赤も鮮やかに存在感を示し、秋を告げる。都会の雑踏の中でも、自然の力で寒い季節の始まりを教えてくれる貴重な存在となって、人々の生活の中に根をおろしていることに気づく。
 今は亡き夫が、入院するために、二人で白金台の坂を登って行ったこと。プラタナスの落ち葉いっぱいの中を長い道のりを歩いたこと。翌年の桜さえ見ることが出来なかった夫の無念を思う時、落ち葉の季節は、私の中で特別なものとなった。あの時の記憶が鮮明な映像となって、毎年、確実に蘇るようになった。落ちて、人々に踏まれ、木枯しに吹かれ、吹きだまりに積もった落ち葉の悲しさが、夫の運命と重なってしまうのだ。
 けれど、8年という歳月が経過した今、その悲しさも、翌年の春への準備なのだということをようやく、この頃思う。
 木々が緑の若葉を萌出るように、夫の残した三人の子供達もそれぞれに、いわば人生の春を向かえようとしている。子供達に充分な教育と太陽に変わる大きな愛を、生活することに追われ注ぎきれなかった心残りはあるが、それぞれ個性のある枝を広げ、ふさわしい花と実をつけ、周囲の人々を楽しませてくれるだろうと思う。
 だから、今年は、もう、落ち葉を本の間にのばせておくのはやめにしよう。
 若葉と、花を期待して。

1996年 さかみち 4号より
back close next