ネット・さかみち

人生の大先輩/石原 国靖

 大内さんの突然の訃報を聞き、御自宅に千住さんと駆けつけた。クリスチャンだった大内さんは、背広姿で正装し、安らかな顔で、ベッドに横たわっていた。「大内さん!」と呼びかければ、今にも起き上りそうな気がした。ベッドの足元の棚には、事務所のみんなが贈った大内さんの、にこやかな似顔絵を囲んでビッシリ書かれた寄せ書の色紙が飾ってあった。大内さんにとって、われわれと働らいた、晩年の七年間は、最後の職場となった。それだけに、退職後も色々な思いを寄せていてくれたに違いない。大内さんはこの色紙を大変喜び、何度も読み返していたそうである。

 年齢より、ずーつと若く見えた大内さんは事務所に入所したころはまだまだ覇気があった。六五歳で停年退職し、老入クラブで将棋や碁を差していると気が迷入ってイヤになったのが再就職のキッカケだったと語っていた。

 事務所では、労務経験を生かして、委託先の開拓の業務を担当した。

 持ち前の、一歩も後へ引かぬ頑固さと、手を抜かぬ仕事ぶりは、安定した成果をあげた。又、人生の大先輩として、「連絡が悪い!」などと、叱られたりすることも多く、事務所の「大久保彦佐エ門」的存在で、教えられることも多かった。経験や趣味が豊富で、話が上手だった大内さんに私は進んでよく、話を聞きだした。

 その中で、そもそも、命とりとなった肝臓を悪くしたのは「北炭夕張時代」の酒がたたったと聞いたことがある。

 石炭は、石油に代わる前の、昭和三〇年代までは、日本の経済成長を支えるエネルギー産業の中心だった。

 落盤事故も多発し、多くの労働者が犠牲になった。そして、安全や賃上げなど、労働条件改善を求めるストライキを含む争議が、全国で激しく起り、それはまさに、日本に於ける総資本対総労働の闘いでもあった。

 六〇年安保も、確か、三池炭鉱の争議が、発端となったと聞いている。

 そんな中にあって、北炭時代、会社の労務担当として、あらくれ男や、子供を背負って押しかける主婦を相手に奮闘した話や、労働組合との徹夜団交やかけ引きの話が印象に残っている。

 頑固一徹、思い込んだら一歩も引かぬ、しかも、かけ引きを心得えた大内さんは、労働側にとっては、手ごわい相手だったに違いない。

 委託先が、一千件になるまで頑張る、と言っていた大内さんが、足のヒザに「水がたまるんだよ」と言って不調を訴え、突然、引退することになってから約一年半、肝臓ガンが進行し、亡くなったことは残念である。引退後も事務組合の総代として箱根等での総代会に出席してもらう筈だった。再び大内さんと話に花を咲かせたかったものである。

 今頃、あの品の良い笑顔で天国で好きなドライブでも楽しんでいることだろうか。

1997年 さかみち 5号より
back close next