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私と仕事の20年/島田 光英

 今年私の働くすずき事務所は、20周年を迎えました。

 すずき事務所が開業した当所私は、小学校の高学年。今でこそ社会保険学務士事務所の職員として仕事をしていますが、その頃の私は将来の夢がプロ野球の選手(阪神タイガースの)から医者に変わってきたところでした。理由はよく覚えていませんが、両親の話によると、私は「お金をたくさん儲けてお父さんとお母さんに楽をさせてあげる」と今からは考えられないことを言っていたらしい。(親が願望を込めてでっち上げているのかも・・・)

 中学生になりました。その頃の私は、自分の学力がたいしたことがないのが判かるようになったので、医者への夢は20 %ぐらい残こしながら、生物学者になって世界のあちこちに行って様々な動物の研究をしたいと思っていました。(この頃からの記憶は今もある)子供達はみんな動物が好きだと思いますが、私は中学生になっても変わらなかったので、お金と生活と仕事が結び付かなかった当時の私は、動物に係わっていられる仕事をしたいと考えていました。

 高校生の私は、少し現実的に仕事を考えるようになっていました。もう動物学者にはなりたくありません。その夢は、TVでのあるシーンを見ているときに砕け散ってしまいました。それは、ある動物学者が、絶滅の危機にあるマウンテンゴリラの保護の為に、生態を調査している場面でした。なんと彼はゴリラの食生活を調べるためにフンを指で……私にはできない仕事でした。

 その頃の私は、遺伝子工学の勉強をして、メーカーの研究所で働きたいと考え、高校で選択すべき学科等を5歳年上の姉に相談しました。姉が言うには、「理系に行くなら物理と化学あるのみ。」素直な私は迷わず物理と化学を選択しました。しかし、私の学びたい遺伝子工学は農芸化学というあまり聞かない学部にあり、受験するのに「生物」という学科が必要となることが判かるのに少し時間がかかりました。

 大学生になりました。学内に女性が多いという理由もあり、文系の経営学部に入りました。大学生の私には身近に迫っているということもあり、仕事についてよく悩みました。大手のメーカーに入社してからもよく悩みました。悩みはいつも、「なぜ自分は医者や先生のような人の為になるような仕事を選ばなかったんだろう。」という事でした。自分の会社の製品がなくても誰も困らない。自分はそんな仕事をしていない。こんな事をよく考えていました。

 この悩みを解決してくれたのは高校のときに私を落し入れた姉でした。「どんな仕事をしていても、税金を払っている限り、必ず誰かの役に立っているはず。」

 今はたくさん稼いでたくさん納めたいと思っています。もちろん自分で決めた天職で。

1998年 さかみち 6号より
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