ネット・さかみち

痴呆?幻覚?泣き笑い/瓜生 初美

2001年の夏、算定真最中に兄嫁からの電話で 母が脱水症状と2.3日薬を欠いたことから体調を崩し寝込んでしまっていると言ってきた。夏休みなんの予定もないのであれば来てもらえないか…と。その後兄から、医師からお母さんの状態とてもよくない。このままだと後3ヶ月くらいかもしれないと言われた。

そして、また兄嫁から、兄さんはああ言っているけどそれは最悪のことであって今は体力さえ戻れば大丈夫だから・・・。

いずれにしても離れていて様子の見えない私には、よくないことばかり考え不安なだけでした。兄嫁や妹の夏休みと交代して看ることにして、母のもとへ行ったとき、本当にもしかしたらこのまま逝ってしまうのではと思ったくらいでした。

不自由ながらも寝込む2~3日前まで自分の身の回りのことはちゃんと自分でしてた母が、全く身動きすらできず意思表示もままならない状態で、いきなり介護認定「5」の評価でした。

入院先もすぐには決まらず、わずか4、5日のことでしたが、へとへとに疲れてしまいました。在宅介護はまず無理な状況だったので、なんとか入院先を紹介してもらい、後を兄夫婦に任せて東京に戻ってきましたが、ベットでうとうとしながら夢をみてたのか、幻想なのかわからないことを話してたことや一人で起きあがることさえできなくなっていたこと、声が出ず思うことを伝えられないことを思うと、病院での生活もまた不安になるのでした。

2週間後、1ヵ月後、2ヵ月後と見舞うたびに回復し、以前の状態にもどった様子に接することができたときは、それまでのことがまるで夢の中のことのようでした。お正月は一緒に初詣に行きました。5月の連休に会ったときは、ごくごくふつうでした。それが夏頃から年齢のためにくるボケに加え長年服用している薬のせいもあり幻覚症状がひどくなり始めました。合わせるように声もほとんどでなくなってきました。波があるようですが、ひどい時は昼夜逆転の生活になり、入院先の医師や看護婦さんはもちろん家族も悩まされ続けています。距離感もなくなり、田舎と広島・東京、昔と今、夢と現実、母の中でどう線引きされているのか対応している私たちのほうがおかしくなってくることもあります。幻覚のなかの話だと思って対応しているといきなり、現実になってしまい、怒り出したりするのです。子供たちのなかで母の昔を一番知っているのは私なので、兄嫁から「・・・こんなことあった?」と聞いてくることも時々ありました。

時々家へ連れて帰るのですが、介謎は大変です。怒ったり泣いたり笑ったり呆れたりと。家族中が振り回されてます。私もときには7歳のこどもになったり、交通事故で殺されたりと忙しく生きています。久しぶりに会うとはじめのうちは優しく接しているのですが、だんだん言葉が荒くなってきて本気でけんかすることもしょっちゅうです。そんなときは、なぜかとても元気で、声も少し発せられるのです。怒らせるとすこしいいのかしらなどと、暢気なことをいいながら私や兄嫁は現状を受け入れ対応するのですが、兄は母と同じ病気と向き合っているせいもあり、また母親のそんな姿を受け入れられないらしく真っ向から対立するのです

そんな母も3月には満82歳になります。最近亡くなった方達が母のもとへ訪ねてくるらしいです。他の兄姉が60歳代で亡くなっているので長生きしてるほうだとは思うのですが、まだお迎えにはきて欲しくないと願っています。

2003年 さかみち 10号より
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