ネット・さかみち

つれづれなるままに/鈴木 光江

今日は朝一番からプッツン。いつもの金曜日の事。6時半に家を出て7時半から始まるスポーツクラブのスタジオレッスンのエアロビクスに参加する。このクラスはあまり人気がなく、わりあいと参加者が少なく周囲の人とぶつかる心配もなくのびのびと出来るのが気に入っている。なのに、今朝、すぐ後ろに陣取っていた年配のおじさんから「もう少し前に行ってください」といわれてしまった。なーんで?言い方にもとげがあったのだけど自分が少し後方にいけばいいのに、なぜ、人を動かそうとするのかしら?彼の言うとおりにしたら、私はずっと横目でインストラクターの動きを見なくちゃならない。藪 にらみになっちゃうよ。パソコン漬の毎日でも、目だけは大切にしたいのに。 お馴染みのレッスン仲間に愚痴を聞いてもらってちょっとさっぱり。 汗をかいた後は、さあ今日も頑張るぞと仕事のモードに切り替える。

出勤途中のコーヒーショップで昼用のパンを購入。マニュアルどおりの 親切なスタッフなのだけど、レジの合間に焼きあがったパンをセロファンに包んでいる
その手は、おいおい、今お金をさわった手だぞ!もちろん素手で。

趣味の登山のときは少々の不潔は気にしない。平気で沢の水を飲むし、テントで泊まり縦走が2.3日続けば、爪の中も汚くなったりする。それでも、まあまあ気にしない。海外旅行にいっても同様だ。文化が違うのだから、となんとなく納得している。なのに、この大都会の真ん中?飯田橋では許せないと思うのは私の偏見か。

マニュアル通りに客に応対することにもまして基本的に大切なものが欠落しているのではないだろうか。

そして、事務所のあるビルでエレベーターに何人か同時に乗ろうとすれば、入り口をかけあしで来る人がいる。ボタンの前にいたひとは「開」のボタンを押し続け、中に乗っている人もじっと待っている。さて、彼女は何も言わず当然のように乗る。何か一言あっていいとおもうのは私だけか?ちょっとだけ後味の悪い気分。

こんな小さな事で腹をたてるなよ。と思うが、いやいやそれが生きているという証拠。喜怒哀楽がなくなってしまったら前進もない。腹をたてることで相手を責めるだけでなく自分への反省になり、それではどうしたらいいのかと模索することにも繋がると思う。最近世間を騒がす家庭内の暴力、殺傷事件も相手への思いやり、自分だけから見るのではなく、相手の立場にたって考えることができたら、もう少し、犯罪もへるし、短絡的な事件もなくなるのではないかと、つくづく思う今日この頃である。

2006年 さかみち 13号より
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