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想い出のお化け煙突/千住 貞夫

私は学生時代、夏休み冬休みに北海道への帰省には上野・青森間は常磐線の特急列車を利用していました。当時は航空機・新幹線はまだ無かったのです。その際に「これで暫く東京とはお別れだなあ」或いは「やっと東京へ帰って来たなあ」と心に感じる象徴的な出来事がその都度あったのです。
 それは上野駅を発車し、日暮里駅を通過した後、三河島・北千住駅間で車窓から見えた大きな煙突でした。それは列車の進行に従って、一本、二本、三本、四本の煙突に直ぐに変わって行くのです。この煙突は通称〝お化け煙突〟と言われ地元の足立区では昔から有名だったそうです。昭和三十年代の初期には映画「東京物語」或いは「煙突の見える場所」等に登場し、全国的に有名になりました。
 私は、大学卒業後にこの路線を通過する事が少なくなり、いつの間にか頭の中から当時の風景が消えてしまい、約十年位過ぎてからこの煙突が撤去された事を新聞紙上で知った程度でした。最近、北千住、荒川地区に仕事柄出かける事が多くなり、電車で通過する際に走馬燈のように当時の光景が頭の中をよぎり非常になつかしくなり私なりにこの煙突について文献で調べてみました。

 当時、荒川近辺には町工場の煙突がずらり並んで居り、中でも一際目につくのが北千住・三河島間にある千住火力発電所の通称〝お化け煙突〟で湾曲に走る國鉄常磐線からの角度によって煙突の数が二本、三本と変わって見えるのです。上空から見ると実際には菱形に配された四本の煙突だったそうです。この煙突は大正十五年に完成し、この火力発電所は、当時日本最大の火力発電所で発電量七萬五千キロワット、煙突は直径約六メートル、高さ約八三・五メートルもあった。当時、煙突以外に高い建物がなかった為、電車の中からも良く見え、煙突の本数が重なり合って変わっていく様子を車窓から眺める事ができたのです。然し、効率の悪い石炭火力発電の時代は終わりを告げ、昭和三十九年に解体され下町のシンボルタワーは惜しまれながら姿を消したのです。現在、跡地は東京電力足立支社となり、輪切りにされた煙突の銅板製基底部は地元、元宿小学校のすべり台として利用され子供達に親しまれているとの事です。五十数年前、列車内で煙突の本数を数えていた若き日々は、私にとって青春時代の想い出の一頁として心の片隅にいつまでも残ることでしょう。

2009年 さかみち 16号より
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