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私の愛しき食堂/横島 洋志

 私は茨城県の守谷というところに住んでいる。つくばエクスプレスが開通してから急速に発展した街で、今ではマンションがあちらこちらに建ち並んでいる。家の近くは閑静な住宅街であり、買い物をするところはドラッグストアとコンビニくらいしかない。だからといって特に不便を感じることもなく、住むには良い環境である。そして、この静かな街に1軒、家族経営の中華料理店がある。家から徒歩1分のところにあるその店は、街が変わっても変わらぬ佇まいを感じさせる。印象を一言でいえば、『昭和の食堂』。店の看板や暖簾、店頭にあるディスプレイは、何か忘れてはいけないものを残しているような貫禄がある。こぢんまりとした店構えで、駅までの通勤途中で何度となく目にしていたが、この街に住んで4年近く経つまで一度も入ったことのない、自分にとって謎の多い店である。

 なぜ、その店に足を踏み入れなかったのか?いや踏み入れることができなかったのだ。その店は昔からそこにあって、近所の常連さんがよく行くような雰囲気がある。そんなところに新参者である私が入ることはためらわれた。その店にとって私はよそ者だという思いがどこかにあったのだ。もうひとつ理由をあげるなら、私たちの世代はファーストフード世代である。ハンバーガー、牛丼屋、ファミレス、コンビニなど、いつどこでも簡単に同じものが食べられる。その均一的な味、便利さに慣れ切っていて、わざわざ新しい店を開拓するということをしなかった。

 ところが、昨年の秋も終わりの頃だったろうか。ある休日の夜、いつも見過ごしていたその店がなぜか気になった。理由は分からない。いつものコンビニ弁当に飽き飽きしていたからかもしれない。なんとなく興味が沸いて、その店に入ることを決めた。4年越しのチャレンジ。店の入り口の前は車が2、3台ほど止められるスペースがあり、道路沿いには『本日のおすすめ』メニューが書かれたホワイトボードが脚立の上に置いてある。それを見て注文するメニューを心の中で決め、店の入り口に立った。扉を開ける手が少し震えた。「この扉の向こうにはいったい何があるのだろう。」そんな期待と不安。時間はたしか夜の8時頃だった。
 扉を開けて最初に目にしたものは、客席に腰かけて編み物をしている年配の女性の後ろ姿だった。その恰好から店の人であることはすぐに分かった。さらに同じく客席に腰かけてテレビを見ているご主人。(いい意味で)商売っ気が感じられない。店内には4人掛けのテーブルが4つと2人掛けのテーブルが1つ、そして大きな犬が1頭。他に客はいない。勇気を出して初めて入った(謎の)店でいきなり一人である。完全なアウェイ状態に期待より不安がまさった。「(編み物を中断させてしまって。せっかくテレビを見てくつろいでいたのに・・・。)入って迷惑ではなかったか?開けてはいけない扉を開けてしまったのではないか?」思わず開けた扉をすぐに閉めて帰るところだったが、もう後戻りはできない。席に案内され、水をいただき、心に決めていた『チキンカツ定食』(850円)を注文した。

 店内の印象はというと、あくまでイメージなのだが、『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる『幸楽』といった感じ(けんかはしていないが・・・)。カウンターの向こうに調理場があり、テレビの他に新聞と雑誌が置かれてある。出前を受け付けるであろう電話は黒のダイヤル式で、電話がかかってくると「プルル・・・」などと上品な音は立てず、「ジリジリジリ~」という受話器が踊るような、子どもの頃によく耳にした懐かしい音を奏でるのである。外観に負けず劣らずのレトロな感じが、味があっていい。

 食事が出てくるまでの間、テーブルの上にある立てかけのメニュー表を見ていた。定食だけでも15種類ほど、他にラーメン、丼物、オムライスなど、中華のみならず洋食もある。全部で50種類近くはあるだろうか。チキンカツ定食が運ばれてきた。チキンカツとライスの他に小皿に載った冷奴、そして中華スープ(このスープにハマっている)。見た目は家庭の料理といった感じで、どこか安心感があり、味もとてもおいしかった。そして、食後にはホットコーヒー(夏場はアイスコーヒー)が付いてくる。このサービスも最高なのだが、驚いたことにこのコーヒーがまたうまい!!その辺の喫茶店より満足できるおいしさである。その時、「なんでもっと早くこの店に来なかったのだろう」と感じたことをはっきりと覚えている。私はその日からこの店のファンになった。
 それからというもの、何度かこの店に足を運ぶようになった。出前が多いようだが、時間帯によっては店内もいっぱいになる。お客さんはだいたいが顔見知りの近所の人のようで、店の人と世間話をしている。野菜などを持って行って、お裾分けをしている人もいた。そんな親しい感じの雰囲気が、傍から見ていてうらやましかった。私と言えば、人見知りの激しい性格であるため、なかなかそんな雰囲気に溶け込むことはできないのだが、テレビや犬(名前はメイ)の背中を眺めながら食事をし、食後のコーヒーをいただきながら読書をすることが楽しみのひとつとなっていった。

 そのうちに、顔も覚えられたのだろう。店の人も少しずつ話しかけてくれるようになった。慣れない私は始めのうち、ぎこちない会話になって気恥ずかしい思いもしたが、内心とてもうれしかった。メイも近くに寄ってきて、たまに頭を撫でてあげると気持ちよさそうにしている。やっとこの店の常連の仲間入りができたようなそんな感じがした。今では平日の仕事帰りや休日のジム帰りなど、週に2、3日はお世話になっている。「せっかく外食をするならこの店で食べたい。」私の胃はすっかり虜になってしまったようだ。ここで食事をするようになってから、以前よりもシンプルなものがよりおいしいと感じるようになり、食べる楽しみを味わっている。でも、この店に行きたい理由はもっと他にある。何と言っても落ち着くのである。気取らず、自然に人を受け入れてくれるような安心感。その居心地の良さは、人とのつながりやおもてなしといった温かみからくるのだろう。震災があった直後、ひとりで食事をするのが心細かったとき、この店の安心感が心の拠り所となったものだ。

 店の名前は『自由軒』。私の愛しき食堂。今では、自分の家に帰るような気分で店の扉を開けている。

2011年 さかみち 18号より
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