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東日本大震災を通して/武藤 真美

 私の両親は、岩手県の山田町というところに住んでいます。山田町は、岩手県の沿岸中部に位置し、海と山に囲まれた大変穏やかなところです。しかし、3月11日の東日本大震災で甚大な津波の被害を受け、この町の海沿いの地域はほぼ壊滅状態となりました。我が家も海からそう遠くないところにあったため家は失ったものの、両親と92歳になる祖母は津波が来る前に避難していて幸い無事でした。

 震災直後の数日間は、両親とも全く連絡がとれなくなり、安否すらわからない状況の中で、友人・親戚や職場のみなさん、そして私の実家が東北地方にあるということをご存知の顧問先の方々が、心配して励ましてくださったことに大変感謝しています。
 今回の震災で、山田町は巨大な津波とその後の火災に見舞われ、亡くなった方は700名を超えました。震災から約半月後に訪れたときには、津波でめちゃくちゃに壊れた建物や自動車、陸に打ち上げられた船などがほとんどそのままの状態で残っており、それはまさに地獄絵図というべきものでした。特に、山田町役場の周辺は、津波後のプロパンガスの爆発により火災が発生し、その焼け跡はまるで空襲でもあったかのように真っ黒焦げになっていました。役場のすぐ裏手にある避難所に祖母を連れて避難した母は、その火事を目の前で目撃していたというので、どんなにか怖かっただろうと思います。
 風光明媚なあの町が、どうしてこんな悲しい姿になってしまったのかと思うと、ショックのあまり言葉も出ず、当時両親が生活していた避難所に戻った後もしばらく涙が止まりませんでした。普段は穏やかで美しい海が、ひとたび暴れるとそれまで築き上げてきたすべてのものを破壊してしまう。自然に対して人間はなんて無力なのだろうということをあらためて感じました。
 また、だからこそ人間はお互いに助け合っていかなければならない、ということも同時に実感しました。震災が発生したとき、実家には母と祖母の二人きりだったのですが、揺れが収まると同時に隣の家の方が来てくれ、歩行が困難な祖母を車椅子に乗せて避難所まで押して行ってくれたそうです。津波は母たちのすぐ近くまで迫ってきていたというので、もしあの時お隣の方の協力がなかったら、母も祖母もどうなっていたかわかりません。

 震災前の状態に戻るまでには、まだまだ多くの年月が必要です。我が家があった周辺も、残っている家は数件しかなく、津波に襲われたこの地域に果たしてどれだけの人が帰ってくるのかも分かりません。しかし、今まで当たり前だと思っていた日常の風景が、将来また戻ってきてくれることを信じて、私も家族のために最大限努力していきたいと思います。

2011年 さかみち 18号より
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