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日本橋高島屋のエレベーター/小倉 貴士

 ある本を探しに日本橋の丸善に出掛けた。
 お目当ての本を見つけて、外に出ると向かいに立つ高島屋が目に入り、「懐かしいなぁ」と思い、ちょっと寄ってみた。

 重みのある外観、正面口から入ると、吹き抜けの大理石の階段があり、その凄さに圧倒される。
その奥にあるエレベーターを見て、思わず、「まだ、あるんだ」と思った。

アコーディオン式の扉、乗ればその扉から外の様子が見え、高級感のあるチャイム音、この時代にエレベーターガールがいる。
とても懐かしく思い、とりあえず上へ行こうと乗ったら、地下行きで、そそくさと地下1階で降り、エスカレーターで地上に戻った。

4~5歳当時、日曜日になると、父に連れられ、日本橋高島屋に来ていた。

 「小倉はお坊ちゃまか?」と思われるかも知れないが、買い物で来ていたのではなく、父の配達に一緒に付いて来てのこと。

  その当時、父は水産加工業の会社に勤務し、知人の紹介で、駅構内で魚介類の販売をしていた。

 両国駅を皮切りに、津田沼、錦糸町、秋葉原、川口、大宮など各駅で販売し、今で言う物産展の走りだったらしい。
アサリが1日で1トン売れた時や、3日間で売る予定だった商品が1日で完売し、急遽、茨城県神栖市にある本社から商品を取り寄せたこともあったらしい。
  この商いが日本橋高島屋のバイヤーの目に留まり、日本橋をはじめ、柏、大宮、横浜と販路を拡大して行った。

  配達に付いて行くのは、私にとってはちょっとした旅行だった。
 早朝に千葉を出発し、京葉道路を抜け、首都高へ。
トラックの高いキャビンから見える早朝の都会の景色は、不思議だった。
ビルの群衆や広い道路に、人や車がなく、まだ起きていない街を見ると、なんとなく優越感があった。

 トラックをバックで搬入口に着ける際、父はドアを開けて後方を確認していた。
幼少期の私にとって、その姿が抜群に格好良かったので、ドアは開けられないが、私も窓から少し顔を出し、後方確認をする真似をしていた。

  納品後、父に連れられて店内に入ったが、搬入口から入るため、大理石の吹き抜けの階段は記憶になく、あのエレベーターだけが鮮烈に残っている。

先ず、扉の開き方に驚き、乗ってみると外が見える・・・。
当時、千葉のデパートといえば、ニューナラヤ(現千葉三越)か、そごうであったが、4~5歳当時の自分がエレベーターだけで、それらとの格の違いを大きく感じた。

 父は、高島屋の外商部の部長さんとの打合せの際、ジャンパー姿で臨み、部長さんから「小倉さん、うちにもスーツ、売ってますよ」と笑顔で言われたらしく、かなり恥ずかしかったと話す。
親子共々、高島屋の凄さを実感していた。

 日曜日ごとに、4tトラックのハンドルを握り、東京近郊の高島屋に魚を配達し、息子を連れて歩いた父は、三十代半ば。
商品が飛ぶように売れて、商売が楽しかったと話す。
今の私の仕事で言えば、休みなく働くことは、法律違反になってしまうが、世の流れから、そんなことを言ってる場合ではなかったんだろうと。

そんな父の姿を近くで見て、「働く」ということを自然と身に付けたのかも知れない。
まぁ、今ではトラックのハンドルから、すっかりゴルフクラブを握るようにになったが。

   高島屋のエレベーターも父も未だ現役。
 どちらも多少のメンテナンスは必要ではあるが、現役である意味があるんだろうと勝手ながら思う。
 暇があったら、そのうち、父と日本橋高島屋に行ってみようと思う。
 あのエレベーターに乗り、地下へ行こう。
 食品売場は地下1階だから。

2013年 さかみち 20号より
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