ネット・さかみち

あれから5年/武藤 真美

 今年の3月11日で、東日本大震災から5年の月日が流れました。5年前の「さかみち」をお読みいただいた方はご存知かもしれませんが、私の実家は岩手県の沿岸中部に位置する「山田町」という所にあります。実家は津波で壊れてしまったため両親はしばらくの間仮設住宅で生活していましたが、3年ほど前に震災前と同じ場所を1mほど嵩上げして家を再建し、現在は平穏に暮らしています。  今でもときどき事務所や顧問先事業所の方々が「実家のほうはどう?」と気にして声を掛けてくださり、大変ありがたく感じております。そこで、今回の「さかみち」では実家周辺の現在の復興の様子を、今年8月の帰省時に撮影した写真とともに、ほんの一部ではありますがお伝えできればと思います。

 現在、山田町の沿岸地区では大規模な嵩上げと整地作業が次々と進められており、いたるところで〝盛り土と重機〟という光景が見受けられます。整地が完了した段階でようやく住居や公共施設、公園などの建設に入りますが、盛り土をした後も数か月間は土が固まるのを待たなければならないため、建設まではまだ時間がかかりそうです。

 仮設住宅で生活を続けている方々もまだまだ沢山いらっしゃいます。実家の近くには4階建ての災害復興住宅が建設され、現在は内装工事の段階ですが、今年の年末頃には入居が開始されるのではと聞いています。ただ、山田町では計21か所で災害復興公営住宅の建設が計画されているのですが、そのうち今年の7月末時点で完成しているのはわずか6か所にとどまっているようです(岩手県公式HP調べ。)不便で周囲に気を遣う仮設住宅暮らしの状況を知っているだけに、早いところ何とかならないものかと感じています。

 山田町には震災前、JR山田線という電車が走っていました。私も帰省する際には盛岡駅から実家の最寄り駅である陸中山田駅までこの山田線を利用していました。ところが、3月11日の津波により山田線の線路は所々流され、陸中山田駅も震災時の大規模火災により焼失してしまいました。そのため、山田町内の各駅を含む一部区間は現在も不通となっており、途切れ途切れの線路だけが寂しく残された状態が続いていました。

 そのような中、NHK「あまちゃん」でもお馴染みとなった三陸鉄道がJRから運営移管を受けることが決まり、平成30年度末までの運転再開を目標に線路の復旧工事が始まりました。実家の近くにも山田線の線路が走っていますが、これまでの木製の枕木からコンクリート製の枕木へ着々と交換作業が進められています。山田線はもともと赤字路線で廃線も囁かれていたのですが、このように再開が決まり、具体的に工事まで開始されたことは嬉しく思います。

 実家に帰省するたびに少しずつ周囲の景色が変化し、復興は着実に進んではいますが、5年という歳月を考えるとやはりそのスピードは遅いと感じます。さらに、東京オリンピックに向け建設作業もさらなる停滞が懸念されています。年々メディアで取り上げられる頻度も減ってきていますが、被災地の復興はまだまだ途半ばです。

~おまけ~
 さかみち18号の表紙にもなった庭先の薔薇の花は、今年もきれいに咲きました。

2016年 さかみち 23号より
back close next